レポート

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ほくみ能登助成

2025.1.7

「制服」を通して“受信”する避難者親子のSOS。〜NPO制服バンク石川〜


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「令和6年能登半島地震 災害支援基金」の中でも「つづける支援活動助成」で採択された11の団体をご紹介していきます。「つづける支援活動助成」は、緊急期の支援のみならず、能登半島地震により被災された方々の生活再建に必要な支援の継続を支えます。

今回は「NPO制服バンク石川」代表の池下奈美さんへのインタビューです。

「制服バトンタッチストア リクル 金沢店」

整然と並ぶ、おびただしい数の制服。その多くはリユース品で、一つ一つ丁寧にメンテナンスとクリーニングが施されています。手間がかかっているというか、それが “手あて” されたものだということが、制服がまとう空気感からも伝わってきます。

 

“制服着用文化”が根強い石川で発足した団体

今回取材に訪れたのは「制服バトンタッチストア リクル 金沢店」。NPO制服バンク石川(以下:制服バンク)の代表を務める池下奈美さんが営むお店です。同店では着られなくなった制服を買い取ってメンテナンスしたのちに、必要とするお客さんへ安価で販売をしています。

実は石川県の制服着用率は82%で、全国平均の14%と比べてもかなり高いということをご存じでしょうか?公立校でも「小学校の時から制服を着るのが当たり前」という文化は、他県では驚かれることも。今回「つづける支援活動助成」にて採択された「制服バンク石川」は、そんな背景から生まれたNPO団体です。

「NPO制服バンク石川」代表の池下奈美さん

「リクルではできる限りの安価で制服を販売してきましたが、それでも『買えない』『支払いを待ってほしい』というご相談を、特にコロナ以降多くいただいていました。また、福祉施設や市役所・学校などからの問い合わせも増えていて。安く売るだけでなく『制服を無償提供する』という形での支援の必要性を感じていました。ただ、リクルの中でその活動を展開してしまうと、購入いただく方と無償提供をする方の“差”をつけられないので、別団体として『NPO制服バンク石川』を立ち上げました」

「NPO制服バンク石川」のロゴマーク

 

「能登の子ども達が、金沢に避難してくる」

「リクル」と「制服バンク」、両団体の代表を務めながら日々忙しく過ごしていた池下さん。そんな中2024年元日「令和6年能登半島地震」が起こります。

「当時私はインフルエンザにかかって寝込んでいたので、隔離された状況の中テレビで能登半島地震のニュースをずっと見ていました。大変なことになってしまったと。その時に知人から連絡が来て『池下さん、これから金沢に能登の子ども達がたくさん避難しにくるよ』と。

そうなれば『制服』が必要になる。けれど、避難されてくる親御さんたちはどこで制服を買うか情報はあるのだろか、購入するにしてもお金が大変なのではないかー‥様々な思いが頭を巡って。『これは、制服バンクが動かなければ』と寝込みながら思いました。スタッフに被災者支援を始めようって声をかけたら『賛成です』ってみんなが即答してくれて、心強かったですね」

「制服バンク石川」のメンバーはリクルのスタッフと兼任している

 

お金は後から何とかなる。今出せるものは全部だそう。

「制服支援をはじめます」と池下さんが表明したのは、発災から僅か10日後。しかし、いきなり大きな壁にぶつかります。被災者に提供できるリユース品の制服ストックが“全く足りていない”状況だったのです。

「制服って、新入学の時には皆さん新品を購入されると思うのですが、大きくなってきたら『おさがりでいい』という方が多いんですね。そうなると制服バンクでも大きいサイズはすぐに捌けてしまって、120-130cmなど小さいサイズばかりが残りがち。リクルでも状況は全く同じでした。けれど金沢にやってくる子ども達は、幼稚園から高校まで実に幅広い年代です。これはもう『新品を仕入れて配布するしかないな』と」

新品の制服を購入する代金は、当初は池下さんが自己負担していました。体操服なども含めて制服専門店で新品の制服一式揃えようと思うと、小学生でも3-4万円・中高生になると10万円ほどかかるもの。いくら仕入れ値でといっても、金額は瞬く間に膨れ上がっていきました。

地震でお財布すら持って逃げることができなかったという方や、家が全焼・全壊した方、ご家族が亡くなった方ー‥。そういう方々を目の前にして『料金を下さい』とは、どうしても言えなくて。もう『お金は後でどうにかなる!とにかく目の前の方々に出せるものは全部だそう』と」

 

石川における「制服」の重要性とローカル・ルール

制服無償提供のためにSNSで寄付を募るも、発災当初に集まったのは1-2人分の制服を購入すると消えてしまうような金額でした。援助物資や義援金など、様々な寄付の募集情報が飛び交っていた中で埋もれてしまった、もしくは「制服」という直接人命に関わらないものとして“後回し”にされていた部分もあったのかもしれません。

しかし長年制服支援に関わってきた池下さんは、いかに「制服」というものが子どもたちにとって重要か、痛いほどに分かっていました。

制服って“ただの衣服”と思われる方もいるかもしれませんが、学校に一人『違う制服』の子がいたらどうでしょう?本人はすごく“疎外感”を感じてしまいますよね。特に石川は制服の着用率が82%と全国と比べてもかなり高く、制服文化が根付いている土地です。ただでさえ慣れない街に避難してきて孤独感を抱えている子ども達に、これ以上我慢をさせるわけにはいかないと思ったんです。親に遠慮して我慢をする子ども達の表情を、私はこれまでもたくさん見てきたので」

データ提供:NPO制服バンク石川(出展:「小学校の制服の有無」「制服制度導入率ランキング」

また、制服には“ローカル・ルール”も数多く存在し、同じ石川県内といえど「能登」と「金沢」ではいくつもの違いがあると池下さんは話します。

「例えば『黄色い通学帽は6年間被るんだよ、男の子と女の子でデザインが違うからね』とか。能登地方では通学帽は被らないんですよ。その逆もあって、能登では反射材のタスキを掛ける地域がありますが、金沢ではそれは必要ない。その他にも、金沢での学校生活に馴染めるような情報を皆さんにお伝えするのも私たちの役目だと感じていました」

 

限界を迎えていた時に見つけた「つづける支援活動助成」

発災から半年足らずで、制服支援を行ったのは173家族。お子さんが複数人いる家庭も多く、支援した品物は1,000点以上。額にして224万円を超えていました(2024年6月時点のデータ)。

その後も金額は膨れあがり、またイベント前などは朝方まで働く日々も続いて池下さんは支援の限界を感じていました。その時に見つけたのがほくりくみらい基金の「令和6年能登半島地震災害支援基金」の「第2次緊急助成」の公募でした。

「恐る恐る応募したら採択していただけたんです。2次としては最高額の20万円を助成いただきましたが、制服の支払いに一瞬で消えてしまって。その後『つづける支援活動助成』があることを知りました。

ただ、すでに私たちは一回助成いただいているし、他にも困っている支援団体さんがたくさんいらっしゃる中で、何回もいただくわけにはいかないと思っていたんですね。だから『自分たちで何とかします、大丈夫です』って意地をはっていたのですが、永井さん(ほくりくみらい基金代表)が『何回でも申し込んでいいんですよ』って声をかけてくださって」

 

“こうしたい”という気持ちに 寄り添ってくれる助成金

「ほくりくみらい基金さんの印象は、“とにかく優しい”ですかね。一番優しいんじゃないかと思うくらい。これまでも制服バンクとして様々な助成金を申請してきましたが、基本的にどれもハードルが高くてすごく難しい。けれどほくみさんの助成金の説明会では「私たちは、難しくするつもりはありません」って永井さんがハッキリおっしゃっていて「こんな助成金もあるんだな」って驚きました。

わかりやすいだけでなく『あれに使っちゃダメ、これもダメ』という助成金にありがちな縛りもなくて、“こうしたい”と思う私たちの気持ちにすごく寄り添ってくださるんですよね。採択後のフォロー体制も素晴らしくて、もう本当に頭があがりません」

 

遠慮がちな能登の人が 金沢で集える“きっかけ”を

「つづける支援活動助成」を申請するにあたり、池下さんは能登半島地震発災から自主的に続けてきた三つの事業を柱とすることにします。

①制服の無償提供/②「被災者応援まつり」の開催/③無償学習支援

「制服バンクとして、当初は制服の無償提供だけを行っていたのですが、そこで出会った方々から段々色んな話を耳にするようになって。衝撃だったのは『いつまで“被災者面”していていいんだろう』というお声。

支援活動をしている私たちにしてみれば『そんなんいいに決まっとるがいね!』と思うけれど、『支援物資をもらうのが申し訳ない/恥ずかしい』とか『他にもっと大変な思いをしている人がいるから』と。能登の方々はすごく遠慮がちで、我慢強くてー…。どうしたら彼女達が遠慮なく支援を受け取れるのだろうと考えていたんですね。

その時「子ども達が遊べる場所がない」というお声もあったので、だったら“子ども達が遊べるイベント”をメインテーマに据えて、お母さんたちは物資を選べる場を作ったらどうだろうって思いついたんです」

「被災者応援まつり」

そして2024年5月に初めて開催された「被災者応援まつり」は、地震で突然離れ離れになった能登の人達が集まるきっかけにもなりました。

「普段は対面で話せていたから連絡先を交換していなかったようなママ友同士が、このイベントで再会して近況を報告し合っていらっしゃったりとか。“集まれるきっかけがあること”って、すごく大事なんだなと気づいたんです。だからこそ、このおまつりは続けていきたいなと思っていました」

「被災者応援まつり」で衣服の提供の様子(写真提供:NPO制服バンク石川)

第二回「被災者応援まつり」のボランティアメンバー(写真提供:NPO制服バンク石川)

 

突然の「受験」に、戸惑う親子をサポート

そして三つ目は「学習支援」。こちらも制服支援を介して出会った保護者との会話から生まれたもの。

能登には“受験戦争”がないんですね。基本的に子ども達が希望する学校へ通えるような環境から、金沢にやってきたら突然「受験」がある。学校の偏差値はもちろん、私立校と公立校の区別もつかないような状況で、子どもがどこを受験できるかもわからない。

けれど、そういう話をできるところって、本当に少ないんですよね。私も子育てをしてきたので、金沢の高校事情やアクセスなどに関して少しはアドバイスすることはできたのでご相談にのっていたんです」

「湯けむり屋敷 和おんの湯」でのオンライン学習支援風景(写真提供:NPO制服バンク石川)

塾に通わないと、希望する学校に行けないかもしれない。けれど塾にはお金がかかる上に、知らない場所に子ども達を通わせることに不安もあるー…。

「そんな親子の学習支援をできないかと思っている時に、たまたまご縁あった福岡県の『NPO法人いるか』さんがオンラインでマンツーマンの学習支援をされていると聞いて、無料学習支援教室を開くことにしました。地元のスーパー銭湯の『和おんの湯』の食堂の和室をお借りしてやっているので、ついでにおにぎりを持ち帰ってもらったら、送り迎えする親御さんも一食分楽になるよねと食事も提供することにして」

タブレットやイヤホンを用いながらの学習(写真提供:NPO制服バンク石川)

夕食分を子ども達に無償提供(写真提供:NPO制服バンク石川)

 

“弱音”や“孤独感”を、ここで落としていってもらいたい

「この三つの事業全て、『私たちがやりたい』と思ってやり始めたことではなく、困っている人たちをの声を聞いているうちに出てきた『こうしたらどうだろう』を重ねていくうちに、でき上がったものなんですよね」と語る池下さん。

「被災して、弱音を吐いたり、不安を打ち明けられる場所って本当に少ないんですよ。子どもたちだけでなく、親御さんも孤独感を抱えていらっしゃいます。転校した学校のコミュニティや町会にも入っていけない、居場所がない。そういう辛い気持ちをなるべくうちで“落として”いってもらいたいと、いつも思っているんです」

“制服”という、帰属コミュニティの象徴ともいえる衣服のやり取りから垣間見える親と子それぞれの孤独感。「大したことはできなくとも、寄り添い続けることだけはやっていこうと」。

 

「自分達にしかできない支援」がある

補助金の用途は主に、被災者に無償提供する制服の仕入れ代、「被災者応援まつり」での会場代や支援物資代、そして無償学習支援のタブレットや通信費、そしてスタッフの人件費に当てられています。今回の助成で、池下さんが一番驚いたというのは「人件費を計上してもいい」ということ。

ボランティアって“無償の奉仕活動”というイメージが染みついていて。スタッフにはもちろんお給料を貰ってもらいたいけれど、私がやると言ってはじめたことなのだから代表である私は貰わなくていい・貰っちゃいけないと、ずっと思ってきたんです。

でも、ほくりくみらい基金さんは『もらっていいんです』と力強く背中を押してくださって。このまま続けていたら私もボロボロになっていたと思うし、そもそも活動を続けられていなかったと思うので、本当にありがたかったですね」

何をするにも遠慮がちな池下さんが胸を張って活動に邁進できるようになったのは、周囲から寄せられた感謝の言葉がエネルギーになったから。

「2024年9月に、またしても能登で豪雨災害が起きて。水害で皆さん困ってる中、被災者応援まつりを開催すべきか悩んでいたんです、“おまつり”って言ってる場合じゃないよねと。すっごく迷ってほくりくみらい基金さんに相談したら『ぜひ開催されたら良いと思いますよ。制服バンクさんにしかできないことがあるでしょう』とおっしゃってくださったんです。

加えて『直接意見を聞かれてみては』とアドバイスいただいて、実際に被災者応援まつりに来場した方々にアンケートをとりました。『お祭りは続けてほしい』とか『子ども達も喜んでいます』といったお声、そして何より『いつもありがとうございます』という言葉がすごく多かったんですね。これは自粛している場合じゃないぞと。『私たちは、私たちにしかできない支援を続けていこう』って、思えるようになりました

「被災者応援まつり」での「こども縁日」での風景(写真提供:NPO制服バンク石川)

 

「つづける」ことで、得られたもの

まもなく、能登半島地震発災から1年を迎えようとしています。2次避難で金沢に来ていた人の中には、能登へ戻る決断をした家族も増えているそう。

「能登と金沢では制服が違うため、『もうこの制服は使わないので』とお返しに来られる方もいました。『とても助かりました!ありがとうございました!』と、親御さんだけでなく子どもたちからも感謝の言葉をいただきます。どの制服も丁寧に洗濯やクリーニングが施されており“役に立つことができた”と実感できることが嬉しく、提供を続けてきて本当に良かったと感じています」。

つづける支援活動助成の助成金期間も2025年の1月末を持って終了予定。けれど当面は現在の支援活動は続けていくつもりだと、池下さんは話します。

「ニュースで私たちの活動を紹介いただいたりと、制服バンクの認知が広がって来たおかげか、全国の方や企業さんから支援物資や寄付金を送っていただいて。当面はその物資や資金をもとに続けていくつもりです。まさにこれは、活動を“続けること”で得られた信頼と認知だと感じています

「続ける」から得られる「信用」。「信用」があるから「続ける」ための支援が得られるー‥。「卵が先か、鶏が先か」議論のようですが、ポジティブな循環を生んでいくためにも、まず率先して“応援”してあげること。それが地方のコミュニティ財団の役割の一つなのかもしれません。

ほくりくみらい基金理事の須田さんと。中間報告と状況のヒアリング。

 

「自分ができない分を、あなた達がやってくれている」

「つい最近も、愛知県にお住まいの個人の方からドンと大きな金額の寄付をいただいて。本当にいただいて良いものか戸惑ったのですが、『いいんだ』と電話口でおしゃって。『自分が直接できない支援をあんた方がやってくれていると思っているから。何にでも使ったらいい。でも、自分たちの体調を何より優先するんだぞ』と。お名前も住所も教えてくださらなかったのですが、愛知の方に向かってスタッフみんなで手を合わせました(笑)」。

「自分にはできない支援」を、「寄付」という形を通して「それができる人たち」に実施してもらう。制服バンクが展開してきた支援活動も、長年「制服」を介して親子の悩みに向き合ってきた池下さんだからこそ届けることができたケアであり、池下さんだからこそ受信できた、被災者親子の消え入りそうなSOSだったに違いありません。

被災地や避難先の街で、多様な支援団体が活躍すべき理由は、ここにもあるように思います。

(取材:2024年11月)

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NPO制服バンク石川
ホームページ:https://recle.info/seifuku-bank/
Instagram:https://www.instagram.com/seifukubank_ishikawa/

<メディア掲載>
「育ち盛り 制服安心して ひとり親家庭、避難世帯へ 金沢でリユース配布会」
2024年12月16日『北陸中日新聞』
https://www.chunichi.co.jp/article/1000236

「リユースの制服を無償で提供 金沢市のNPO、2次避難者の苦悩受け」
2024年3月13日『朝日新聞デジタル』
https://www.asahi.com/articles/ASS3C3DBSS33OXIE00C.html

文章・写真:柳田和佳奈
金沢に住んで早15年以上。2児の母。情報誌の編集者を経て、現在は「株式会社ENN」の広報担当や、個人でライターや編集業も行っています。