レポート
Report
ほくみ能登助成
2024.10.24
「近所の人も家族」断水が続く高屋町の暮らしを支える〜さいはてボランティア〜
(本記事は、2024年10月8日取材時点での情報です)
珠洲市高屋町、豪雨で大きな被害が出た大谷町の東側にある町です。
大谷町同様に能登半島北端の崖地に面していて、市街地からは山越えをしなくては来ることができません。
元旦の地震では、多くの家屋に甚大な被害が出た上に道路も塞がれ1週間にわたって孤立しました。
高屋町に住んでいた後谷(うしろや)さんは、孤立状態が解消したあと、両親を残し子どもたちを連れて金沢に避難。旅館での避難生活の後、金沢市内の仮設住宅に入居しながら何度も高屋へ戻り支援を続けてきました。
「4月から夏前ぐらいまではしょっちゅう(高屋へ)来てたんですけど、もうだいぶ状況が落ち着いたから行かなくてもいいかなって思った時に、この雨で…」
大谷ほどの大きな被害は出なかったものの、高屋は停電と断水となり、またも3日間孤立することになりました。
「水を30箱くらいと食べ物、スーパーで買えるおにぎりなんかを運んできたら、まずは顔を見れたことにみんな喜んでくれたんです。それから、やっぱりその頃は電気も携帯の電波もない状況で、電気がないとご飯も炊けないのすぐ食べれるものが欲しかったみたいですごく喜ばれたんですよ。よかった」
豪雨から2週間が経過して電気は戻りましたが、高屋に配水する浄水場付近では何箇所もがけ崩れが起きてしまい、断水解消の見込みは立っていません。
「水は困ってますね、飲料水は(給水車なども来るので)大丈夫なのですが、洗濯とか風呂とかができないので」
後谷さんは、金沢での仕事先で知り合った方のアドバイスで、金沢から能登へ通って故郷を支え続ける人たちを集めて「さいはてボランティア」という団体を立ち上げました。
金沢から珠洲を往復すると1回あたり5千円近くかかる交通費を、ほくりくみらい基金の「令和6年9月能登半島豪雨災害支援基金」による助成金でまかなっています。
この日は、断水でも水をためて使うことができる二槽式の洗濯機や、寒くなってきたので衣類などを車に積んで高屋の実家に戻ってきました。
「金沢で、二槽式洗濯機を譲ってくれる人がいたら、すぐにこっちに届けてます。みんな欲しいって言いますね。やっぱり水の心配があるから」
後谷さんの実家は、被災したものの被害は大きくなく修理もほとんど終わっているため、支援物資の拠点となっていて、ここから近隣へ配られていくそうです。
金沢と高屋との往復は楽ではありませんが、支援を続ける理由を後谷さんは話してくれました。
「実家があるからというのもありますが、ここの風土っていうか、珠洲外浦は子どもを地域全体が育てとる感じがあるんですよ。近所の人も、家族のような感じ。
そうやって育ててもらってきたから、実家だけではなく周りも住みやすくして、ちょっとでもみんなが楽になってもらえるようにしたいんです」
高屋の現在の人口は解体業者も含めて56人、そのうちおよそ半数は港のそばに作られた仮設住宅に住んでいます。
仮設住宅は住宅で使用する水槽に給水車が水を補給していくため、ある程度の水を使うことができます。しかし、給水車が来ない日があったり、夜になると足りなくなる日もあったりと不安定な状態です。
また、仮設住宅に入居していない自宅避難者への給水は、給水袋に入れられた飲料水のみで、それ以外の水は雨水や山水を溜めて使っています。
後谷さんのお宅でも家中のあらゆるバケツや桶に雨水を溜め、洗濯や風呂に使っています。
何ヶ月も断水状態で過ごしたあと、やっと水が戻ったと思った矢先に今回の豪雨でまたも断水。
これから寒い季節を迎えるにあたって水の心配は尽きません。
「今はこうやって毎週見に来ながら、食べ物とか足りないものを補えればいいかなと思っていますが、冬の水の心配、雪が降ったときの課題を今のうちにどうにかしたい。断水が解消されたとしても、仮設の水道管は露出しているので寒くなると凍結が心配だし、このあたりは除雪車がなかなか来ないので除雪の問題もある」
仮設住宅ができて、ひとまず生活が落ち着いたとしても、季節が変われば次の問題が出てきます。被災地の支援は長く続けてゆく必要があることを実感しました。
さいはてボランティア:ほくりくみらい基金「令和6年9月能登半島豪雨災害支援基金」第2次助成採択団体
公式X https://twitter.com/notosaihate
ほくりくみらい基金「令和6年9月能登半島豪雨災害支援基金」へのご寄付は下記より受け付けております。