レポート

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ほくみ能登助成

2025.2.7

民間のボランティア団体だからこそ “手が届く” 心の支援 〜石川県災害ボランティア協会〜


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「令和6年能登半島地震 災害支援基金」の中でも「つづける支援活動助成」で採択された11の団体をご紹介していきます。「つづける支援活動助成」は、緊急期の支援のみならず、能登半島地震により被災された方々の生活再建に必要な支援の継続を支えます。

今回は輪島にて仮設住宅のアウトリーチ活動を続ける「一般社団法人 石川県災害ボランティア協会」さんへのインタビュー。お話を伺ったのは副会長を務める木下千鶴さんです。

「一般社団法人 石川県災害ボランティア協会」副会長の木下千鶴さん。防災士の資格を持ち、石川県防災アドバイザーも務める。

有志のボランティアコーディネーターで結成した民間団体

「石川県災害ボランティア協会」という団体名から、一見県が運営する“公的な団体”といった印象を受けますが「全然!県からはお金一円もいただいてないですよ(笑)。だからこんなところでやっています」。そう明るく笑うのは、同団体副会長を務める木下千鶴さん。

今回取材にうかがった先も、木下さんの夫が代表を務める金沢市内の建設会社の事務所。木下さん自身も普段会社の経理を担当しながら、並行してボランティア活動をしているそう。まず案内してもらったのは敷地内に設けられた支援物資置き場。「たまたまうちの会社にスペースがあるからって物資が集ってきたのよ〜」と木下さん。手弁当で団体が運営されていることが伝わってきます。

建設会社の一角に設けられた物資置き場

行政にはできない支援も、民間なら手が届く

令和6年能登半島地震では、内灘でのボランティアセンターの設立や、能登への支援物資の搬入など、発災当初から活動を展開されていた石川県災害ボランティア協会。石川県としてもボランティアを募って派遣している中で、民間のボランティア団体が独自に活動を展開する意義をうかがうと「行政ができることにも限界があるし、制限だってある。そういった部分には、私たちのような民間団体だからこそ手が届くということがあると思うんです」と木下さん。

「まず行政の支援では“不公平”が許されないわけです。例えば避難所に100人の被災者がいて、そこに90個のパンが支援物資として届いたとします。すると不公平が生じるからと行政では配れず破棄することになる。それは“規則”だから行政としてもどうしようもできない。こういった問題が被災地の至る所で起きているんですね。でも現実では『パンはいらない』という人もいれば、『2個食べたい』という若者もいるかもしれない。そういう柔軟な調整も、私たちのような団体ならできるんです」

石川県災害ボランティア協会が発足したのは2005年。元々は石川県が開催していたボランティアコーディネーター育成研修の参加者が集って結成した有志団体だったそう。

「『せっかく研修受けたのに、このまま終わっちゃうのは勿体ないよね』ということで、同じボランティアコーディネーターの講座を受けていた人たちで集まってね。なので完全に個人が集って立ち上げた団体です。県もボランティアコーディネータの“数を増やすこと”に一生懸命だったけれど、そこから“育てる”ということころまでは手が回っていないようだったので」

石川県災害ボランティア協会のロゴマーク
団体が発足した初期のメンバー写真(写真提供:石川県災害ボランティア協会)

持ち物リストに「防災頭巾」がない衝撃

そもそも木下さんが当時ボランティアコーディネーターの研修を受講していたのは「石川の防災意識の低さに危機感を感じたから」だといいます。

「私は名古屋の生まれで、その後は神奈川に住んでいたんですが、娘が小学校4年生くらいの時に金沢に移住してきたんですね。それで小学校の手続きに行った時に、必要な持ち物リストの中に『防災頭巾』がないことに驚いて。太平洋側だと、保育園や小学校といった社会的な場所に子どもが出ていくとき、『防災頭巾』は必須の持ち物なんですね。石川ってなんて防災意識が低い地域なんだろうと」

「ご近所さんも、関東から来た私に対して『ここは地震がないから、良かったね』っておっしゃる。でも白山は活火山だし、金沢にだって森本断層があるのにー‥。大人の意識はなかなか変わらないとしても、子ども達はなんとか守らなきゃって思ったんですね。でも“ただ口うるさいおばさん”じゃ説得力がないから、防災士の資格を取得したり、ボランティアコーディネータの勉強もして。それが私のスタートですね」

子ども達に楽しみながら防災意識を高めてもらうための釣り式防災ゲーム。

災害時における「ボランティアセンター」の重要性

石川県災害ボランティア協会では、普段は防災知識や災害ボランティアにまつわる講習を県内で展開していました。中でも力を入れて説いていたのは「災害時におけるボランティアセンター(※)の重要性」だそう。

(※)ボランティアセンター……ボランティア活動をしたい人とボランティアを必要とする人を結び付ける中間団体。また、ボランティア活動に関する相談や情報提供、講座の開催なども行う。

ボランティアセンターって、地元の人が中に入らないと上手く回らないものなんですよ。今回能登で混乱が起きていたのは、県外からいろんなボランティア団体がくる中で、地元の人がボランティアセンターに入ってなかったということが、一つ要因としてあると思っています。

ボランティアセンターの認知が広まることで、“この仕組みを介して来る人は信頼ができる” “ドロボーじゃない” という認識が根付いていく。なのでこの活動には、両面の意味合いがあると思っています。災害時には必ずボランティアセンターを介したボランティアを受け入れてください、ということと、自身がボランティアにいく時にも守るべきルールとして、私たちはお伝えしていました」

ボランティアセンターの講習風景(写真提供:石川県災害ボランティア協会)

ほくりくみらい基金の、スピード感ある助成

石川県災害ボランティア協会として助成金に申請したのは、今回が初めてだったそう。

「今回はとにかく物資が必要で、まず資金が足りない。最初に他の助成金を申請したのですが、使い勝手が悪くて『助成金って、こんなに大変なのか…』と後悔していたくらい。そんな時にほくりくみらい基金さんの令和6年能登半島地震災害支援基金の公募を見つけたんです。ほくりくみらい基金さんの対応は素早くて、採択後すぐに全額の入金がありました。使い勝手も良くて本当に助かりました

仮設住宅に支援物資を届ける木下さん(写真提供:石川県災害ボランティア協会)

ほくりくみらい基金の「令和6年能登半島地震災害支援基金」の「第2次緊急助成」で助成された20万円を元手に、木下さん達は輪島に移動式シャワーを運び入れました。

現地では4月になっても、元日の発災から一度もお風呂に入れていないという方が結構おられたんです。体が悪かったり障がいがある方など、みんなで一緒に入る『自衛隊のお風呂』には入れない方々がいる。そこに、うちの会社に出入りしている水道屋さんが自分用に移動式のシャワー室を作っておられたことを思い出して。そのシャワー室を提供していただいて輪島に持っていきました。これは本当に喜ばれましたね」

これもまさに日々被災者と直接を見て・接しているからこそわかる「今必要とされている動き」だったといえます。

移動式シャワー室を提供してくれた水道職人の佐藤清貴さん。趣味のサーフィンのために移動式のシャワー室を考案したそう。

また活動の継続のために申請した「つづける支援活動助成」では、主に心のケアを目的とした活動を展開。一つ目は、仮設住宅に入居する高齢者に対し、サロンやイベントの開催を通して交流の機会をつくる」というもの。

仮設への入居は抽選で決まるので、顔見知りと隣り合うことってなかなか難しいんですね。そこに私たちがイベントを開くことで、たくさんの人たちが集まる機会になる。すると『あら、あんた元気やった?』という会話が随所で聞こえてくるんです。こういうところから少しずつネットワークができて、やがてコミュニティーが形成されていくんですね

バラバラに千切れてしまった人間関係の編み直し。関係性の“糸”が行き交い、やがてコミュニティという“面”を形成していくための最初のきっかけを、様々なイベントを介して木下さんたちは提供し続けています。

輪島で雅楽のイベントも開催。その様子が放送されたニュースを見せていただく

そして毎週開催している仮設住宅の公民館でのサロンでは、イベントだけでなくランチの提供も開始。

美味しいものを食べて、少しでも“日常”を味わってもらえたらって始めたんです。最初サロンに来るのは10人程度だったのが、今では毎週40人近くになって、お米を2升炊いても全然足りない(笑)。その中で辛い体験も徐々に喋れるようになってきているのを感じます」

学生ボランティアの “人の心を開く力”

二つ目に行ったのは「学生ボランティアの受け入れとマッチング」。特に大学の夏季休暇には県内外から多くの学生ボランティアの申し出があり、様々な条件や制限がある中で現場での適切な振り分けが求められました。

「ボランティアにくる大学生は1・2年生や女性が多かったこともあって、力仕事というよりも仮設住宅の入居者さんへの訪問をお願いしたんです。そしたら、それがことのほか良くて!

私たちが巡回しても、面倒臭がられたり歓迎されないこともよくあるんですが、学生達が訪ねていくと扉を開いてくれて、まぁ喋る喋る!(笑)。そして彼女達が仮設を訪ねた後に私たちが回ってもまた良い雰囲気なんですよ。若い人たちには、人の心を開かせるパワーがあるなぁって改めて感じましたね」

学生ボランティアの受け入れ(写真提供:石川県災害ボランティア協会)
学生ボランティアの受け入れ(写真提供:石川県災害ボランティア協会)

ボランティアにも、いろんな“攻め方”がある

そして仮設訪問とあわせて彼らに持たせたのは、フラワーポットや肥料。これらが「心の状態のバロメーターとしての機能も果たしてくれる」と木下さんは言います。

「よく手入れされていて綺麗に花が咲いているお宅は『そこまで頻繁に回らなくても大丈夫』。でも『植物が枯れていたりするところは要注意』など、訪問の際の一つの目安にしています。花の状態にその人の“心の余裕”みたいなものが現れるんですよね」

フラワーポットの購入にも、「つづける支援活動助成」の助成金が役立てられました。(写真提供:石川県災害ボランティア協会)

「めんどくさいから、もう来ないでくれとおっしゃる入居者の方も中にはいらっしゃいます。『だから、もう行かなくていいですか』ってボランティアの学生さんたちに聞かれるんですけど『来ないでくれって言われたからって、“行かない”という手はないよ』と私は伝えるんです。別にインターフォンを鳴らさなくたって、飲料水のペットボトルに名刺をつけて『誰か困った人がいれば教えてください』って書いておくだけだっていい。次回訪ねた時にペットボトルがそのままだったら危険信号だけど、大概はちゃんとなくなってる。だから、仮設訪問一つとっても、ボランティアにはいろんな攻め方があるんだよと」

ペッドボトルの飲料水を配布しながら、仮設住宅の入居者たちとコミュニケーションをはかる。(写真提供:石川県災害ボランティア協会)

これからは「人のつながり」が大切になってくる

発災時にはボランティアセンターの設立や物資提供、瓦礫撤去や家具の運び出しなど“モノ”や“フィジカル”な活動にも携わっていた石川県災害ボランティア協会。しかし、つづける支援活動助成では「心のケア」に重点を絞って活動を展開している理由を尋ねました。

発災当初から状況も変わってきて、支援物資や瓦礫撤去などもだいぶ落ち着いてきました。その中で、“人のネットワークをいかに作るか”ということが、今大事になってきていると感じています。新しい環境や地域に早く溶け込んでいって自立してもらうこと。そのためのつながりが生まれるきっかけをたくさん提供してあげたいんです。だから、いくら準備が大変だろうとイベントを開く。私は金沢から通っていて“輪島の人”ではないから、今後頼れるのは“遠くの私”より、“近くの隣人”でしょう

技術系のボランティアにはいろんな団体さんが入っておられるけれど、うちみたいな“心のケア”をしていくような団体が、県内にもっとあればなぁと思っています。やっぱり県外からの“遠くの人”だけじゃなくて、ちょくちょく顔を出せる距離感でサポートできたらいいですよね」

「被災者」が「支援者」に。自分たちで立ち上がる力

こうした支援活動を一年間続ける中で、「被災者」が「支援者」に変わっていく瞬間に幾度となく立ち会ってきたと木下さんは話します。

「つながりができると、人って段々元気になってくるんです。そしたら今度は人のために何かできるようになってくる。それってすごく良い傾向で。例えば足が悪くてお弁当を取りにこれない入居者のところまで自主的にお弁当を配ってくれたり。それを私たちは“バーバーイーツ/ジージーイーツ”って呼んでるんですけど(笑)」

その他につづける支援活動助成の中でも、自動車を持っている被災者をドライバーとして雇用し、仮設入居者の買い物や病院への送迎を担ってもらうという試みも。また、サロンでは集まった仮設入居者がミサンガを編み、その売上を自分たちが使う公民館の運営費の足しにしようという自主的な動きも生まれてきているそう。

公民館でミサンガを編む、仮設住居入居者の皆さん
メッセージを添えて販売するミサンガ。

「被災者であるお父さんお母さん達にも積極的に“支援する側”の手伝いをしてもらっているのも、東日本大震災の時に学んだ教訓の一つなんです。私たちがただ支援をしてあげるだけじゃだめで、彼らが自分自身で立ち上がれるような環境をいかに整えられるか、そこを考えてていくことがすごく大事なんですよね」

「支援者/被災者」の関係性から「友人」に

その上で、木下さん自身も日々被災者と接する中で“いつまでも被災者扱いしない”ということを心掛けているといいます。

「これは福島からの避難者の見守りを担当していた時に言われた言葉でもあるんですよね『いつまでも被災者扱いしないでほしい』って。やっぱり“同情”とか“可哀想”って気持ちばかりで接されると相手も嫌になってくるでしょう。

それに最初は『被災者』と『支援者』という間柄だとしても、段々『友人』に変わっていくんです。私はそれが楽しくて、この活動を続けているところがあります。後々になっても『あの時大変だったよね〜』って言い合える友人が増えていく。何でも、楽しくないと続かないものでしょう?

現地に行けなくても、力仕事ができなくても

「だから、仕事しながら活動するのはめちゃ大変なんだけど、全然ストレスとかはたまらないの〜」と笑う木下さん。そんな木下さんにボランティア活動を始める“第一歩”の秘訣をうかがってみました。

「能登のために何かしたいと思っていても「何をしていいのかわからない」という方や「もう年だから力仕事ができない」というお声は私もよく耳にします。そういう方には『例えば、うちの団体のビブスを着て、仮設住宅を散歩するだけでもいいんですよ』ってお伝えするんです。それだけでも『また来てくれてる』『気にかけてもらえている』というメッセージになるでしょう?それって十分“ボランティア活動”ですよね。

特にうちがやっているような活動は誰でも参加できるし、現地に行かなくたってできることもたくさんある。まさに、ほくりくみらい基金さんへの寄付だって立派な『ボランティア活動』ですよね。私たちも本当にありがたく思って活動させてもらっています。あくまで寄付してくださった方が主体で、私たちはそのお手伝いをしているだけ。だから、“他人の褌(ふんどし)”で相撲をとらせてもらっている感覚です(笑)」

石川県災害ボランティア協会のビブスを着た皆さん。青色がトレードマーク。(写真提供:石川県災害ボランティア協会)

石川県民として、友人として。これからもできることを

「つづける支援活動助成」は2025年1月末をもって終了します。最後に、今後の活動予定について木下さんにうかがいました。

「春には、活動の目処を判断できればと思っています。桜が咲く頃にはみんなの表情も今より明るくなっているんじゃないかな。それまでに地域の人が自分たちで主体的に動けるような状況を作って行って、私たちの活動としても一旦手を離れるのが理想的な形なのかなと。

もちろん同じ石川県なので、その後も様子を見に行きたいと思っていますよ。仮設住宅から次は復興住宅へと動く変化もありますからね。石川県民として、そして“友人”として、これからもできることはやっていきたいですね」

「これからは心のケアの方が重要になってくる」という木下さんの言葉が印象的だった今回の取材。支援のフェーズが変化していく中で「コミュニティ」や「人のつながり」といった目に見えないものへのケアがいかに重要かを改めて感じました。そしてそれは、行政やカウンセラーといった限られた人に任せるものではなく、私たちの誰もが関われることなのだということも。

(取材:2024年12月)

一般社団法人 石川県災害ボランティア協会
ホームページ:https://www.i-saibora.com/
Facebook:https://www.facebook.com/ishikawa.saibora117

<メディア掲載>
「女性目線の支援を拡充 移動式シャワーも活用/石川県災害ボランティア協会副会長・木下千鶴」/『北國新聞DIGITAL』
https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1505952

「日本古来の雅楽で能登を元気に 輪島市でボランティアが演奏会」/『テレ金 NEWS NNN』
https://news.ntv.co.jp/n/ktk/category/society/kt0803528e124849c89e5921bb4766aab2

「金沢大学と石川県災害ボランティア協会が合同で炊き出しボランティアを実施」/金沢大学
https://www.kanazawa-u.ac.jp/news/148120

文章・写真:柳田和佳奈
金沢に移り住んで早15年以上。2児の母。情報誌の編集者を経て、現在は「株式会社ENN」の広報担当や、個人でライターや編集業も行っています。

「能登とともに基金」は、令和6年能登半島地震・令和6年9月能登半島豪雨に関する支援活動を支える基金です。あなたの寄付で、被災した方々が元の生活に一歩近づくための支援を届けることができます。寄付サポーターになって復興を支える仲間になりませんか?

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