レポート

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ほくみ能登助成

2025.1.14

個々の建築士が集ってつなぐ、災害の共有知 〜建築プロンティアネット北陸〜


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「令和6年能登半島地震 災害支援基金」の中でも「つづける支援活動助成」で採択された11の団体をご紹介していきます。今回は「建築プロンティアネット北陸」さんへのインタビューです。お話をうかがったのは創設メンバーの西和人さん、山本周さん、岡佑亮さんのお三方。

左から西和人さん、山本周さん、岡佑亮さん。インタビューは岡さんの設計事務所「チドリスタジオ」にて。

「建築プロンティアネット」は、2019年の佐賀豪雨をきっかけに設立された建築士による災害ボランティア団体。「プロンティア」とは「プロの力を活かしたボランティア活動」という意の造語で、“建築士の力を地域の復興に役立てていこう”という思いのもと名付けられました。

「建築プロンティアネット北陸」はその「北陸支部」にあたりますが、意外にもその立ち上げ動機は「プロとしての矜持」というよりも「無力さに直面したこと」にあるといいます。

「悩んでるなら、今すぐ現地に行った方がいい」

ーーまずは、普段は個人の建築士として活動されている皆さんが「建築プロンティアネット北陸」を立ち上げるに至った経緯を教えていただけますか?

山本:元々僕と岡さんは知り合いで、普段から建築について相談し合う仲だったんです。地震があって3日後に岡さんから連絡があって「僕らに何かできることないかな?」と。

何をするにしても能登のことや災害対応のことを僕らは全然知らないから、まずは詳しい人に話を聞いていこうと。そこで金沢21世紀美術館にも務めている建築史家の本橋仁さんに相談したんです。その中で中越地震や佐賀豪雨の時に、僕らのような個人の建築士達がどう活動していたかインタビューしてみようと。そしてそれは、他の誰かも知りたいことかもしれないと思って、本橋さんが編集長を務める日本建築学会のウェブマガジン「建築討論」「震災の経験を聞く」というコーナーでいろんな被災地の方々にインタビューをしてアーカイブしていきました。普段は個別に活動する建築士三人が災害支援を始めた理由、そして自分たちの活動の成果物をオープンソースとして公開していることなど、お話をうかがってきました。

ウェブマガジン「建築討論」での「震災の経験を聞く」

山本:その連載の一番最初に取材させていただいたのが九州で「建築プロンティアネット」を立ち上げた滿原早苗さん、大庭早子さんだったんです。(記事はこちら

お話をひと通りうかがった後「僕らに、何かできることはあるでしょうか?」と尋ねたら「悩んでいるんだったら今すぐ現地に行った方がいい」と言われて。そこで「一般社団法人 おもやい(※)」さんをご紹介いただいて七尾市中島町に入りました。そこで初めて西さんに出会って、三人が合流します。

※一般社団法人おもやい…九州を拠点に活動する災害ボランティア団体。「おもやい」は九州地方の方言で「みんなで共有する・分け合う」という意味。

西:そう、建築プロンティアネットの滿原さんとは元々知り合いで、能登で一軒建物を見て欲しいという要請を受け、そこに伺ったさきに山本さんと岡さんがいたんですよね。

山本:滿原さんから「悶々としてる建築士がいるから、一旦そっちに送り込むね」との言付けで僕らは現地に送り込んでいただいたのですが、西さんは西さんでまた別の“モヤモヤ”を当時抱えていたんですよね。

“モヤモヤ”を抱えた建築士が、三人寄れば

ーー三人それぞれに“モヤモヤ”を抱えていたということが共通していると思うのですが、具体的にどんなことに対して感じていたのでしょう。

:元日の地震では、金沢市内にある実家の家業の宿泊施設にも少し被害があって、屋上の貯湯タンクの配管が壊れてお湯が流れ続けるので、ずっと手作業で排水作業を続けていました。また、一時的に断水状態になっていたのですが、新幹線が停まったために「泊めてほしい」というお客様も次々にやってくる。三日間ずっと対応にかかりきりで僕も疲れ果てていて、外ではヘリコプターや消防車、パトカーの音がずっと鳴り響いていて、明らかに日常が一変していました。

発災後三日目くらいからは能登の状況が次々とSNSに流れてきて。能登には友人もいるし「彼らの力になれることがあるなら、なんでもしたい」と思ったけれど、正直自分にできることがその時何も思い浮かばなかったんです。まず誰かと話しながら頭を整理したくて山本さんに電話しました。

山本:僕は令和5年奥能登地震の時に珠洲の知人が被災して「建築士に何ができるだろう」と考えていたけれど、いまいち自分にできることが考えつかなくて。そして1月に能登半島地震が起こった。

当初は自分の「無力感」に打ちひしがれたというか。「建築士」という「建築に一番詳しいであろう人間」が、地震になると何もできない。それが悔しくて、ずっと悶々としていました。だから岡さんから連絡をもらった時は「同じような気持ちを抱えている建築士が他にもいたんだ」と。

ーー皆さん個人のお仕事も多忙な中で、支援活動にあてられる時間はどう捻出したのでしょう?

山本:というよりも、仕事が手につかなかったんですよね。もちろん自分の仕事はやらなきゃいけないし、やるんですけど、目の前にある大変な状況をほったらかしにして仕事をしていることが気持ち悪かったというか。みんな1月2月は何をしてても手につかないような、そういう感覚だったんじゃないでしょうか。

西:僕は「応急危険度判定(※)」で先に能登に入っていたんです。発災直後はそれ以外の理由では建築士は能登に入れないような状況でした。

でも応急危険度判定って、不在の家を外観からチェックして、その家の被害状況を示した貼り紙を貼っていくというものなので、被災された方とは接点がないんですね。むしろ「接点を持ったらだめ」と言われていました。

けれど僕は現地の方の声や困り事を直接聞きたかったし「もっと近い距離で何かできないか」と考えていましたが、でも自分一人で一体何ができるか、どう踏み出していいのかもわからなくて

(※)被災建築物応急危険度判定…地震により被災した建築物について、その後の余震等による倒壊や落下等の危険性を判定して、その結果を「危険」「要注意」「調査済」の判定ステッカーで表示する制度。

災害に対しては、“赤ちゃん”と“ペーパードライバー”状態

ーーちなみに応急危険度判定は県内の建築士全員に声がかかるものなのでしょうか?

山本:いえ、石川県建築士事務所協会に所属していて、かつ「応急危険度判定士」の資格を持っている人だけですね。僕らも今年資格をとったのですが、地震当初は持ってませんでしたし災害に対しては“赤ちゃん状態”で。かたや西さんの名刺にはずらっと災害対応にまつわる資格が並んでいて“心強い仲間に出会えた!”と思いましたね。

西:とはいえ、僕も“ペーパードライバー”で(笑)。東日本大震災や佐賀豪雨の時に、建築士の仲間達が頑張って動いている姿を見ていたので、資格だけはとっておいたんですが、何せこれまで使ったことがない。いざ能登で地震が起きてしまった時、自分に何ができるだろうと。

ーーこれだけ活動されている皆さんも、はじめは“赤ちゃん”とペーパードライバーだったという事実に、私たちも勇気づけられます。そんな三人が集って建築プロンティアネットの北陸支部として「組織」を立ち上げられた理由とは?

西:やっぱり何か活動をするにも、申請一つするのにも「団体」って必要で。それに実績も見られるので、いきなり有志団体をつくってもなと。組織を立ち上げる手続きなども僕らは分かってなかったので、建築プロンティアネットに「北陸支部として、のっからせていただけませんか」と相談したところ快諾をいただきました。

ーー「建築プロンティアネット北陸」さんは、ほくりくみらい基金でも令和6年能登半島地震災害支援基金第3次緊急助成プログラムに申請いただいています。この助成の存在はどこで知ったのでしょうか。

山本:知人のSNSでシェアされていた記事で知りました。さすがに交通費くらいは出せないと継続性がないと思っていましたし、現地で必要な道具も色々あったので、助成がいただけるならありがたいなと。

直接被災者の声を聞く「現地相談」

ーーそれでは「建築プロンティアネット北陸」の主な活動内容を教えていただけますか。

西:僕らは一軒一軒訪問する、個別の建築相談を主に行なっています。

山本「建築相談」といっても、大きく二つに分かれるんです。一つは「窓口相談」で、もう一つが「現地相談」

「窓口相談」は市役所や集会所に建築士がズラッと机に並んでいて、順番に相談に乗っていくという形式のものです。こちらでは最初名刺交換もだめだったそうで、写真をみてその場でコメントすることしかできないので、被災者との間に“微妙な距離感”があるんです。

それは建築プロンティアネットの大庭さん滿原さんから事前に聞いていたことなので、じゃあ僕らは一軒一軒現地をめぐる「現地相談」の方をやろうと。そしてそれは「建物修復支援ネットワーク」代表の長谷川順一さんが中越地震以降ずっと続けてこられたことでもあるので、ノウハウを教えていただきました。

現地相談で能登を訪れている様子(写真提供:建築プロンティアネット北陸)

ーー実際に現地を訪ね歩いてみていかがでしたか。

:当初多かったのは「赤紙(危険度判定の)が貼ってあるけれど、中に入っても大丈夫か」といったご相談でした。中に入るのは怖いけれど、片付けないと公費解体を受けられないからと。なので、僕らは建物を見た上で、「もし地震があったらこのルートで逃げましょう」と提案して、片付けのボランティアさんとも共有していました。

そこから段々とフェーズが変わっていって、相談内容も罹災証明の判定についてや、建物を直して住めるかといったものに変化していきました。要は「解体を決めた人」はそれ以上建物について相談することが少なくなり、「そこに住み続けたい人」の相談が中心になっていきました。

応急危険度判定の赤紙(写真提供:建築プロンティアネット北陸)

「“良い建物だから残した方がいい”と安易に言うな」

ーー「公費解体をするのか」それとも「修理して住むのか」という議論は非常に難しいところだと思います。ですが能登は歴史ある建物も多いので、全部壊してしまうのは勿体無いなとも感じてしまいます。

山本:「『いい建物だから残した方がいい』って、安易に言うな」とは、現地相談のノウハウを教えていただいた長谷川順一さんに一番最初に釘を刺されたことで

特に僕らみたいな個人の建築士って、“古い建物”が好きな人も多いので、建物のことだけを見て「残した方が良いですよ」ってつい言いたくなってしまうんですよね。

でも能登における「家」って本当に複雑で、震災前に聞いた話で「能登の外に出たいけど、何代も続いているこの“家”があるから出られない」という声もあったり。それだけ重みがあるもので、加えて被災状況や家族構成、今後の生活などさらに複雑な要素が絡んでいるのに、迂闊に僕らが入り込んでヘラヘラとアドバイスして帰るなんてできないなと。これは現地に入って実感として分かったことです。

「組織」として支援活動をつづける意味

ーー「つづける支援活動助成」の助成金の使い道について教えていただけますか。

西:やっぱり人件費が圧倒的ですね。一回の出動に対して規定の料金を定めていて、あとは能登に通うための交通費がメインです。

ーー建築プロンティアネット北陸のメンバーは、今どのくらいいらっしゃるのでしょう?

西:現時点(2024年11月)で21人です。30-40代が多いですね。東京や横浜など、関東から志願してくれた人も何人かいます。「何かしたい」と思った僕らみたいな個人の建築士の人が、自然発生的に集まってきてくれた印象です

:こうして協力しあえる「プロンティアネット」という組織があって良かったと僕自身実感していることがあります。活動を始めた当初、山本さんから「(先が長そうだけど)岡さん、ちょっと飛ばし過ぎじゃない?」って言われたことがあったんです。活動初期は休みなく、相談依頼があった全ての回に参加していました。でも壊れた建物や、深く傷ついている所有者さんの姿をずっと見続けていると、段々と自分のメンタルも共振して辛くなることが多々ありました。

自分たちは客観的にその建物について接することが大切なので、プロンティアネットのみんなで交代しながら順番に能登に通えていると精神的にも十分な状態で相談に乗ることができるし、一人だったら続けられていなかったんじゃないかと思います。

建物の現状を現場にて説明(写真提供:建築プロンティアネット北陸)

長期戦になるからこそ、細く・長く・無理をせず

ーー個人のお仕事も忙しい中、支援活動を「つづけられている」モチベーションはどこにあると思いますか?

西モチベーションー‥というか、もはや“日課”になっている感じですね。生活の一部になっていて、自然とやれているというか。そもそも活動を始める当初から「長期戦になる」ということは覚悟してたので

山本:たしか地震が起きた当初にも「今すぐできることよりも」って岡さんと言ってたんですよね。発災当初に建築士にできることって、ほとんどないなって思ったんです。「水を通す」とか「道路を直す」とか、生存率を上げるための緊急性が高いものが多くて

「それよりも4-5ヶ月後に、建築士が必要とされてくるだろうから、その時に備えて準備しておこう」って言ってたら、建築プロンティアネットの大庭さんたちに「今すぐ行け」って言われて(笑)。でも現地に行ったら「これは3ヶ月とかで解決されることでは到底ない」ってすぐにわかる。だから無理をしないで“つづけられる状態”を自分たちで作って「細く長く続けていこう」と、割と早い段階から言っていましたね。

変化する災害フェーズに、「ぶっつけ本番」で挑み続ける

ーーこの一年の間に、被災地の状況にも変化があったと思います。

西:やはり9月の水害は大きかったですね。「地震よりも水害の方がしんどい」とおっしゃる声も多く耳にしました。能登では大規模な水害の経験がこれまであまりなかったので「どうしたらいいかわからない」と。

豪雨災害での輪島市での復旧作業の様子(写真提供:建築プロンティアネット北陸)

山本:水害に対する対策も研究段階だそうで、支援団体によって応急措置の考え方が違ったり、そもそも「正解」がないような状態で。

地震って、ある意味起きた「結果」に対しての対応なので助言もしやすいけれど、水害は刻一刻と状況が変化していくし、「助言」というよりも、こまめに連絡をとって「寄り添う」ことが必要なんだなと。むしろそれができないなら混乱を招くだけになってしまうこともあるのだと、失敗をしながら理解していきました

通い続ける中で変化していくフェーズに、僕ら自身もその都度学びながら「ぶっつけ本番」を繰り返して臨んでいるような感覚です。

浸水した家屋の被害を最小限にするための対処は一刻を争う(写真提供:建築プロンティアネット北陸)

「いつもの在り方」を問い直す

ーーほくりくみらい基金が「つづける支援活動助成」をつくったのも、最初の3ヶ月は気合と根性で頑張れたとしても、それ以降は様々な事情で活動をつづけられなくなる方も出てくるのではないかと想定してのことでした。まずは活動を続ける中でこの助成金も発災からちょうど1年と1ヶ月を期間として設定しています。活動を続ける中で感じたことはありますか?

山本:僕は初めての災害ボランティア活動だったのですが、災害からの復旧って、こんなにも“民間のボランティア団体”に頼っていたんだなって今回で思い知りました。もちろん行政の方も必死に頑張っておられますが、制度的なものも色々追いついていない。いざという時のオペレーションって、もうちょっと整理されているものだと思い込んでいたけれど、全くそんなことはないんだなと痛感して。

なんでもできて体力がある“スーパーマン”みたいな民間のボランティア団体の方々が全国から集まって、なんとか現場が回っているという状況を目の当たりにした時に「これは変えて行かないといけない」と思ったし、同時に「もし自分の街で災害が起きたらどうなるか」をちゃんと考えておかないと、結構絶望することになるぞって。

山本:でもそれって、別に緊急時に限った話ではなくて「いつもの在り方」が問題だったんだなと。何か災害が起きた時、つい「〜してもらえない」と行政に対して不満を持ちがちだけれど、それ以前にいかに自分たちの普段の生活が「成り立っていなかったか」ということが災害によって顕在化されたというか。

そういう意味で、輪島の「ごちゃまるクリニック」さんの立ち上がりのスピードはすごかったです。元々アウトリーチ活動を続けられていた医療クリニックなんですけれど、平時からの地域での活動や築いてきた関係性もあってすごく早かった。「彼らが戻ると地域も戻る」というか、もはや希望のような存在になっていると感じました。

:建築相談でうかがった鬼屋地区(輪島市門前町)でも“日頃のコミュニティ”の重要性を感じました。僕ら相談先のお宅に伺うと、近所の人も一緒に観にくるんです。「お前んちのこれは立派やなぁ」とか言いながら。そしてお隣の家にもみんながまたついてきてー‥(笑)。

山本:“オニヤクエスト”みたいな状態になってましたよね(笑)。「次は誰々に会いに行く」「うちにはこの道具があるぞ!」とか。
:この地域に住み続けたいという気持ちが皆さんから感じられて、「地元を建て直していこう」という機運を自分たちで高めている、それが素晴らしいなと。

次の人たちのために、災害知を共有する

ーーまもなく地震から一年が経とうとしています。つづける支援活動助成も2025年1月末で終了となりますが、今後についてはどのようにお考えですか?

山本:やれることがある限りは続けていきたいと思っています。あとは今回能登半島地震で僕らが経験したことや学んだことを、他の被災地でも共有していけたらなと。なので、自分たちの活動は、制作した資料や議事録、研修動画などもなるべく全て公開するようにしています。他の地域で災害があったときにも使える「便利ツール」になれるように残していけたら。

あとは資金的な協力をしたり、建築プロンティアネットの大庭さんや滿原さんが、僕達にしてくれたようなことを今度は僕らがやっていけたらと思っています。

各補助内容を分かりやすくパンフレット化。パンフレットのPDFはこちらから
「能登復興建築人会議」のオンライン講座にて住宅相談の手法をプレゼンテーションしている様子

西:この補助金の資料も、僕らも最初は何がどうなっているのかわからなくて、やっと理解してから整理して作り始めたものです。もし他の地域の人がこれをたたきにして進められたら、もっと早く、精度も高く動けるんじゃないかなって。

:そして現地で感じた不都合なことを「言い続ける」ことも大事だなと。これは長谷川順一さんがおしゃっていたことなんですが、その時すぐには変わらなくても、言い続けることで制度の方もちょっとずつ寄り添ってくれるからと。

日本ではこれからも災害が頻発することが予見されています。だから例え今すぐには変わらなくても、次に何か起こった時により良い制度になっているように、これからも活動を続けていきたいと思っています。

「建築プロンティアネット」という災害支援経験のある建築士達からノウハウを学び立ち上がった「建築プロンティアネット北陸」。チームとして動き・活動を継続する中で、知り得た情報はまた次の人たちに向けて残していくー‥。

「自分一人の無力さ」に直面しながらも「少しでもできること」を模索し続けた建築士たちの連帯は、「災害知」を共有していくための一つの在り方のように感じました。

(取材:2024年11月)

 

建築プロンティアネット北陸
Instagram:https://www.instagram.com/pronteer_net/

<メディア掲載>
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文章・写真:柳田和佳奈
金沢に移り住んで早15年以上。2児の母。情報誌の編集者を経て、現在は「株式会社ENN」の広報担当や、個人でライターや編集業も行っています。