レポート
Report
ほくみ能登助成
2025.2.10
関係性の風を吹き込み、のと暮らしを”復耕”するボランティアBASE整備〜一般社団法人のと復耕ラボ〜

ほくりくみらい基金「令和6年能登半島地震 災害支援基金」の中でも「つづける支援活動助成」で採択された11の団体をご紹介していきます。
今回は、輪島市三井町を拠点に被災地支援活動をしている「一般社団法人 のと復耕ラボ」代表の山本亮さんにお話を伺いしました。


山本さんは東京農業大学在学中のゼミ合宿で輪島市三井町を訪れた際に、美しい農村風景や、里山とともにある暮らしの豊かさに惚れこみ、2014年に東京都から三井町に移住。能登の里山暮らしの魅力を伝える「里山まるごとホテル」の運営を行ってきました。


令和6年1月1日、発災時は東京に帰省していた山本さん。三井町の移住仲間でもあり、後に「のと復耕ラボ」の副代表となる尾垣さんも大阪に帰省中。発災直後は現地の情報が少なく交通状況も不明で、すぐに能登に向かうことができなかった山本さんと尾垣さんは、情報収集に務めました。

目の当たりにした発災直後の厳しい状況
1月6日に先に現地入りした尾垣さんは、まず三井町の避難所に向かいました。そこで目の当たりにしたのは、水も電気も寸断されたために衛生状態が非常に悪くなっている状況。高齢者の多い三井町では、感染症がもし流行してしまったら日頃お世話になっている方たちに生命の危険があるかもしれないー‥。強い不安を感じた尾垣さんと山本さんは、まだ混乱していた状況下で民間事業者の支援を受け、なんとか仮設トイレを導入しました。身近な人たちの安全を守りたいという思いが行動に移り、それが被災地支援活動として最初のものとなりました。

東京に残り、遠隔で民間有志による2次避難誘導の調整を行っていた山本さんは、1月15日に三井町に帰ってきました。
震災前から関わりのあった「一般社団法人ふくい美山きときとき隊」のメンバーが被災地支援ため三井町に入ってくれることになり、滞在先が必要になりました。そこから、山本さんたちの活動の根幹となるボランティアセンター「ボランティアBASE三井」の整備が始まりました。

当初はピンときていなかった、民間によるボランティアセンター開設
「当初は、現在取り組んでいるような民間団体でのボランティアの受け入れが必要になるとは全然想像していませんでした。東日本大震災の際にボランティアに行きましたが、公的なボランティアセンターが立ち上がっていたので、そこがボランティアを受け入れるというイメージしかなかった。なので自分達で(=民間で)やるということに当初はピンときていないところがありました。しかし発災時直後に東京で2次避難支援に取り組んでいたこともあり、民間だからできる動きや早さがあるということも分かってきたので、民間ボランティアセンターの開設をスタートすることにしました」
ボランティアセンター開設に向けて、東日本大震災でも被災地支援の経験がある「ふくい美山きときと隊」代表の宮田さんから、山本さんはある助言を受けました。
「活動初期の段階で宮田さんから、拠点づくりがとても大切だと言われました。支援活動を続ける人たちが、現場から帰って来てちゃんと疲れを癒せる場所がないと続かない、と。そのために時間をかけて安心してボランティア活動ができる拠点となるよう整備を行いました」



直面した人手不足と、受け取ってもらえたSOS
そんな山本さんたちがまず直面したのが、運営側の人手不足。ボランティア募集・管理、現場で拾ったニーズとボランティアのマッチング、拠点の運営・整備、ボランティア現場を取り仕切る人材など、長期にわたり被災地に滞在して関わってくれるマンパワーが必要だということが分かり、頭を抱えていたそうです。
「当初は僕と尾垣君を含めた3人ほどで全てをやっていましたが、まわらなくなってきて。3月頃SNSに『こういう人材が不足している』という発信をしてみたところ『株式会社御祓川』の森山奈美さんの力添えで4月から「右腕プログラム」(※)の人材派遣が始まり、何人もの人材を送り込んでくれました。そこからは繋がりの連鎖が生まれて、協力してくれる人が増えました。長期で関わってくれる人材が増えたことで、千枚田や町野地区、能登町の農園、輪島中学校の炊き出しなど、継続的に入るボランティア先を作り出すことができました」
※右腕プログラム…NPO法人ETIC.による、七尾市の中間支援組織である「株式会社御祓川」をはじめとする能登・金沢のハブ的団体への能登半島地震の後方支援活動

2月に入り、活動していたチームを復興支援団体「のと復耕ラボ」として組織し、活動を本格化しました。(9月に一般社団法人化)支援活動を通して能登の地に刻まれてきた文化や歴史を掘り起こし、新たな空気を吹き込み「暮らしを耕す」ことが能登の里山らしい復興につながると考え、この名前にしたそうです。

2月から6月までの間は被災した家屋から必要な物をレスキューすることをメインに活動。今までの仕事上での繋がりから、輪島塗の漆器店や醤油蔵元のレスキューなど、事業者さんのレスキューが多かったそうです。

3月には「NPO法人カタリバ」と「NPO法人じっくらぁと」「NPO法人Chance for All」の協力を得て、子どもたちの放課後時間の見守り活動も開始。被災後に保育所、小学校、学童保育と、これまで三井町にあった子どもの教育機能が輪島の街中に集約化されることで、親が仕事や自宅の復旧作業にあたる間、子どもを見守る場所が不足することを受けて開始した取り組みです。

6月に入り公費解体も始まって来たこともあり、解体現場から活用できそうな古材を救い出して次に繋げる「古材レスキュー」を本格的に開始。輪島市の社会福祉協議会も動き始めて三井町の学童も再開したので、子どもの見守りはそちらに移行しました。

7月には仮設住宅が出来てきたので、仮設住宅にサンシェードを取り付けたり、サロンを開いて交流支援を行いました。仮設住宅ができてからは少しずつ重いものの運び出しやがれきの撤去などの災害復旧ニーズも落ち着いてきたそうです。



想定外の「水害復旧」培われていた切り替えの機動力
少しずつ「復旧」のフェーズから「復興」のフェーズに移行してきて、未来の話ができるようになってきた矢先、9月21日の奥能登豪雨により、床上浸水や土砂崩れなどの災害が発生しました。

気持ちが追いつかない中、被災現場をみて周り、水害復旧には一刻も早く現場で作業する人手を増やすことが重要だと判断した山本さんは、すぐさま、のと復耕ラボのボランティア活動の内容を「水害復旧」に切り替えました。

「新たな災害が起こり落ち込みましたが、今までに築いてきた『ボランティアBASE三井』の取り組みのおかげで、速やかに水害に対するボランティア活動に動きだせたのは良かったです。水害前までは基本的に1日10名程度、1チームで動くボランティア活動を行ってきました。しかし水害の復旧として、土砂が流入した家の泥だし作業や、建物の裏に押し寄せている土砂の撤去など、人手と早急な対応が必要だという状況から、ボランティアの受け入れ人数を増やすことに決めました。拠点としては 最大 20名ほどが定員だったのでキャパオーバーしていたのですが、来れる人はとにかく来てほしいという状況だったので、雑魚寝や日帰りがOKという方を含め、 1日最大80名のボランティアを受け入れました。結果的に1ヶ月で1,000人のボランティアに来てもらいました」


そこから約2ヶ月経ち、ボランティア参加者の累計も約3,000人(令和6年11月時点)に。三井地区の水害による緊急性のある案件は落ち着いてきたそうです。

安心できる拠点整備が、リピート率向上へ
「今回の水害の際にも、意識して拠点整備をしました。水害の泥かきなどの復旧には泥だらけになったり、土埃などによる感染症に配慮する必要もあり、建物に入る際は必ずシャワーをしてから入るなど、ボランティアBASE三井の衛生対策を徹底しました。そのおかげか、ボランティアさんのリピート率は高いです。安心してボランティアできるということが重要で、拠点づくりに時間をかけることは本当に大切だということを改めて学びました」



活動を続けるための組織体制づくり
のと復耕ラボのほくりくみらい基金の助成金の使い道は大きく3つです。
「1つは運営するための人材確保。2つめは団体が継続化していくための法人化などの事務的な部分。3つめは復興に繋げていくためのプロジェクトの組織体制をしていくためのコーディネートや外部のサポートを得るための費用に使わせてもらっています。ほくりくみらい基金の助成金は息長く活動をつづけることを支えるものだったので、民間ボランティアセンターの活動を続けるための『人材』と『組織体制』と『事業づくり』に集中して申請をしました」

「運営する側の人手が増えれば増えるほど対応力が上がり、支援できる内容の幅が増えました。良い循環が生まれて、僕たちとしてもボランティア受け入れの付加価値(ボランティアの方の得意分野に合わせた活動先のコーディネート、受け入れ拠点の環境整備、新たなボランティア活動の組成など)が上がるので、対応状況が良くなるということがありました。なので人件費をサポートして貰えるということが本当にありがたかったです」

人と地域との関わりが生まれることで、土地に新しい空気を入れる
たくさんの人がボランティアや物資支援などを通して能登の復興に関わってくれているので、民間ボランティアセンターとしての役目を終えた後も、継続的に能登に関わってほしいという思いを持っている山本さん。関わりを持ちつづけてもらう仕組みや、事業収入を得ていく方法を考えるところがまだできていないことが課題だと感じているそうです。
「収入を得ていくことはもちろん大事なんですけど、震災をきっかけに地域外の人が三井町を始めとする能登の各地域と関わりやすい状況ができた。そこに一番価値があるのではないかと思っています。復興支援で関わってくれた企業などから、『来年一緒に研修をしませんか』という話もいただいたりしていて。活動を続けて行く中で、“稼ぐ”ということができていない罪悪感を感じていましたが、このように関わる人が増えて行くことで次に繋がって行くこともあるのではないかと感じています」

支援活動の中から楽しみを見出す
「のと復耕ラボの活動に取り組んできて、多くの人が三井町や能登に関わってくれるようになって、一緒に何かを生み出しているという感覚があります。大変な状況ではありますが、皆と一緒にやれていることは僕にとって喜びでもあるんです」

「先日、『三井の森づくり勉強会』を開きましたが、三分の一がボランティア参加者でした。ボランティアに来た際に興味を持って、関わりたくて来ましたと言ってくれる人もいて、これこそが財産だと思いました。ということは、今までで来てくれた累計3,000人のボランティアが関係人口になったとも言えます。三井町で何かをしようとしたときには必ず関わろうとしてくれる人がこの関係人口の中から出てくるのではないかという期待があります。豊かな森に関わることがしたいなとか、これからここで遊びながら学べる場がほしいとか、持続可能な暮らしをしたいなとか、古き良きものが循環する地域にしたいなとか、そういう思いを共有して1つ1つに取り組んでいけたら、より良く復興して、未来は楽しく生活できているんじゃないかと思い描いています」

被災地から、持続可能でワクワクする場所へ
自身も被災した中で、悩みながらも手探りで活動してきた山本さんたち。困難な時期も多かったでしょうが、のと復耕ラボの取り組みを通じて、今後の能登での展開について希望も見えてきたそうです。
「能登での暮らしをどうしたらもっと楽しく、持続可能でワクワクする場所にしていけるかということを考えて、実践して行けるメンバーが集まってきていると感じています。ボランティアに行った後そのまま釣りに行ったり、朝6時にキノコ採りに行ってからボランティアに行く人もいます。
自分たちが楽しんで活動して、能登のことを知ってくれることで“住む人”が増えるのではないかという期待もあります。それが結果的に地域の復興や防災力アップにも繋がるし、ネイチャーポジティブ、生物多様性にも繋がると思います。そういう社会的価値を認めてくれる人と一緒に村づくりをして行けるような関係性をこの 2、3年で作っていけたら良いと思っています」

支援者の方々にも、今の能登を見に来てほしい
最後に、ほくりくみらい基金の寄付者の方に伝えたいことを山本さんはこう語ります。
「友人で映画監督の石井かほりさんの声がけで、能登を舞台にした映画のチャリティ上映会が全国で150回以上開催され、多額の寄付金をほくみさんに寄付したと聞きました。海外でも上映会が開催されたそうです。大きな金額になるには1人1人の小さな金額だったかもしれないけれど、その集まりが大きな力になって被災地支援の活動ができていることに本当に感謝をしています。
ほくみさんが地域と密着しているところと、それを支援して下さる人たちがいるということが本当に被災地にとってかけがえのない存在になっていると感じています。復興までは長い道のりになると思うので、これからも継続的に応援して貰えると嬉しいです。
そして、ぜひ能登に来てほしいです。飲食店も再開し始めています。普通に美味しいご飯を食べに来てください。今の能登を見て、状況を知ってもらうだけでも、大きな支援になります」
発災直後の絶望的な状況から、ボランティアセンターを開設を通じて見えた希望の光。たくさんの人たちをボランティアを介して能登と繋げることで、能登の暮らしの楽しみ方や持続性を再構築していくたくましさは今の能登にとても必要だと、のと復耕ラボの取り組みから強く感じました。
(取材:2024年11月)
一般社団法人 のと復耕ラボ
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文章・写真:舟場 千草
石川県能登町生まれ。15歳で地元を離れ、2018年に金沢から珠洲市へ移住。2024年能登半島地震で被災し金沢に避難中。株式会社ENN/金沢R不動産に在籍中。
「能登とともに基金」は、令和6年能登半島地震・令和6年9月能登半島豪雨に関する支援活動を支える基金です。あなたの寄付で、被災した方々が元の生活に一歩近づくための支援を届けることができます。寄付サポーターになって復興を支える仲間になりませんか?
詳細・ご寄付については、「能登とともに基金」WEBサイトをご覧ください。
