レポート
Report
ほくみ能登助成
2025.2.13
「台所」の可能性を開いて、“人”と“自然”そして“知恵 ” をつなぐコミュニティへ。 〜かなざわオープンキッチン〜

「令和6年能登半島地震 災害支援基金」の中でも「つづける支援活動助成」で採択された11の団体をご紹介していきます。「つづける支援活動助成」は、緊急期の支援のみならず、能登半島地震により被災された方々の生活再建に必要な支援の継続を支えます。
今回は能登半島地震をきっかけに立ち上がった食事支援団体「かなざわオープンキッチン」へのインタビュー。お話を伺ったのは代表の小尾香さんです。かなざわオープンキッチンでは、被災者の健康と環境にも配慮した食事提供から、「食」を通じたコミュニティ形成まで幅広い取り組みを展開しています。自身も「いち主婦」である小尾さんが団体を立ち上げた経緯や、運営側に立って初めて実感した気づきなども含めてお話しをうかがってきました。


「金沢にいても、“主婦”でもできるボランティア」
色鮮やかな野菜のおひたしや糠漬け。切り干し大根やひじきを使った和物。魚の照り焼きに、酸っぱそうな梅干しのおにぎりー‥。「かなざわオープンキッチン」のSNSに並ぶ料理の写真は、自然と体が欲するような健やかな料理ばかり。そして、きっと誰もの記憶の中にある、“家庭料理”の風景とも重なります。
それもそのはず、この料理を作っているのは日々家庭の食卓を切り盛りする“主婦(※)”の皆さん。
「こういう“普通の食事”が、被災地では何より喜ばれるんですよね」そう話すのは、「かなざわオープンキッチン」代表の小尾香さん。
「かなざわオープンキッチンでは、食材も場所もこちらが用意して、なんとなくのメニューまでは考えるんですけど、“レシピ”みたいなものはなくて。あとの味付けはお母さん達にお任せしているんです」とにっこり。
「私たちのコンセプトは、『金沢にいても、主婦でもできるボランティア』なんです」と小尾さん。そして小尾さん自身も、子育てをしながらフリーランスの管理栄養士として日々慌ただしく暮らす“主婦”の一人でした。
※主婦…ここでは家事や育児をしながら仕事もしている女性、というニュアンスで使用しています。

「私にも、できることがあるかもしれない」
かなざわオープンキッチンは能登半島地震を受け、小尾さんが「人生で初めて」立ち上げたというボランティア団体。東日本大震災で食事支援としてボランティアに参画した経験も、小尾さんの背中を押したそう。
「まさか石川県で、しかも元日に、こんな大きな地震が起こるなんて思ってもみなかったことでした。友人達も被災している中で『私にもできることがあるかもしれない』と、自分の中に何か立ち上がってくる感情があって。東日本大震災でボランティアに参加した経験もあったのでとにかくやってみようと」

まずは発災直後から知人達から寄付や物資支援を受け付け、灯油やバッテリー、オムツなど買い込み、珠洲に届けられる知人に託していた小尾さん。その後もつながりがある全国の農家から野菜や米などが届き、被災地へ送り続けていました。そのつながりで知り合った珠洲の「さだまるビレッジ」のご夫婦から「二次避難している被災者がたくさんいて、その方々の食事状況がひどい」という話を耳にします。

「金沢にも二次避難の方がたくさんいらっしゃる。だったら現地にはいけなくても、“金沢でできる食事支援”があると思ったんです。久々にSNSを動かして『ボランティアの方を募集します』と告知したら、あれよあれよと20人ほどが集まってくださって。野々市のカミーノでおむすびを握って届けたのが『かなざわオープンキッチン』としての活動の始まりです。
集まってくださったメンバーは女性が多くて、男性も1-2名いらっしゃいましたね。やっぱり皆さん『何かしたいけれど、何をしたらいいのか分からない』という気持ちを抱えていらっしゃって」


被災したからこそ、立ち上がるために“ちゃんとした食事” を。
「食事支援」の大切さは、腸内フローラ解析士としても活動していた知識や経験から、強く実感したことでした。
「被災地では、レトルト食品やパックご飯、菓子パンといった食事ばかりが続く状態です。長引く避難生活の中で、疲労、倦怠感、無気力、不眠など、被災者の健康値が下がる根拠を腸内環境の悪化に紐付けて見ることができました。
特に能登のおじいちゃんおばあちゃんは新鮮な野菜やお魚といった“良いもの”を食べてきている人たちなので、レトルト食品が喉を通らないというお声も耳にしました。きちんとした食事が取れていないと、どんどん痩せてしまって、免疫が落ちて感染症も増えるし、メンタルへの影響も出てくるー‥。
でも本来、被災したからこそ、立ち上がるためには、“ちゃんとしたもの”を食べないと立ち上がれないのではないか。そんな想いがずっとあって、私たちができることは微々たるものかもしれないけれど、それでも『料理が作れる環境』がここにはあるのだからやろうと」


ニ次避難、みなし仮設ー‥変化するフェーズ。「やったことないけど、やってみる」の繰り返し。
そこから1〜2月の間は週3日のペースで100食ほどを食事を用意しては、ニ次避難者が身を寄せるホテルや福祉施設に届けていった小尾さん達。立ち上げたばかりの団体で、その段取りの良さに女性達のマルチタスク能力の高さを感じますが、小尾さん自身は「初めてのことばかりで、いつも手探りだった」と当時を振り返ります。

「食事の届け先一つとってもそう。社会福祉協議会さんと繋がっているわけでもなく『どこにどんな人たちがいるのか』も分からない状態で。まずは個人的なつながりを頼りに知り得た情報で食事を運んでいきました。『やった事ないけどやってみる』の繰り返しで、その時々に関わってくれる方達のおかげでなんとかやってこれた感じです」

手探りながらも、被災者や支援団体との接点があれば、少しずつでも状況やどんなところに困り事があるのかが見えてきたという小尾さん。
「食事を届けるうちに、避難している子ども達のことが気になってきたんです。見知らぬ土地で、遊ぶ場所もない。それで子ども達を対象にしてハンバーガーやキンパを作るワークショップをやってみようと。2月から始めてみました」

3月からはアパートなどに移り住む2次避難者が増えてきたため、それまでの「大鍋&大皿料理」から個々に渡しやすい「お弁当」へとシフト。配達を担当してくれるボランティアさんと連携しながら活動を続けます。
その中で「より多くの人たちに健康的な食事を届けられたら」という思いから、5月からは「炊き出し」に切り替え、金沢市内の支援物資センターで食事を提供。また徐々に能登への道路状況が改善されてきたため、能登に出向いての炊き出しも行いました。


「人」と「環境」が、共に“健康”になっていく食事
変化するフェーズに応じて食事の提供スタイルは柔軟に変えながらも、かなざわオープンキッチンとして一貫してこだわっていたのは「人と環境が健康になる食事を提供する」ということ。
オーガニックな野菜づくりをする農家から送られてくる新鮮な野菜やお米でつくる、穀物菜食を主体とした食事。調味料にも伝統的な製法を用いられたものを。「食材の管理一つとっても大変なんですけど、そこはやはり譲れなくて」と小尾さん。


災害時となると「人」が最優先となり、「環境」の問題は後回しにされがちに。被災地で必ず出る“大量のゴミ”などはその最たる例です。けれど「どちらかではなく、どちらも本来切っても切り離せないもの」だと小尾さんは語りい ます。
「人が本当の意味で“健康的な食事”ができているとき、自ずと環境も“健康”になっていくものだと思うんですよね。あらゆる天災は人間活動も影響を及ぼしているといわれる中で、“食”をベースに日々の暮らしや環境を整えていけないかと私たちは考えています。なので、炊き出しを行うだけではなく、人も環境も健康になっていく食事を提供したいと考えています」

「とり残される人たち」が見えているから。
1月20日から活動を始め、半年以上自ら集めた寄付を頼りに食事支援を続けてきた小尾さん。半年以降も活動を継続する必要性を感じ、ほくりくみらい基金の「つづける支援活動助成」を申請します。
「当初押し寄せていた支援も、時間の経過と共にどんどんなくなっていく。その中で『取り残される人たち』が私たちには見えているのに、辞めてしまうわけには行かないなと。助成金を申請したのは『ほくりくみらい基金』さんが初めてだったんですが、本当に優しく対応してくださって、“心が通じる”感覚がありました。ボランティアってリソースがすごく不安定なものだからこそ、まとまったお金があるということが活動を続ける助けになりました」


ボランティア運営は、仕事以上に「仕事」
これまでは、どちらかといえば「寄付する側」だったという小尾さん。今回自身が「運営側」を体験したことで、様々な気づきがあったといいます。
「これは寄付がないと続かないよねって、身をもって実感しました。私たちも半年間は無償で活動してきましたが、仕事をしながらのボランティア活動って本当に大変で。なんというか、ボランティア運営って“仕事以上に仕事”なんですよ(笑)。常に連絡を取り合って、買い出しして、会計や食材の管理もあってー‥その上、お母さん達には子どもの世話や家事もある。とてもじゃないけれど無償ではこれ以上続けられないなと。だからこそ“寄付”という文化の重要性を実感しましたし、寄付がもっと当たり前のものになればいいなとも思います。
社会課題を解決するためには“ビジネス”とはまた違った視点が必要不可欠ですよね。ボランティアって、元々は“自由意志”という意味であったはずです。“特別な人たち”がするものではなくて、『誰かの役に立ちたい』と思った誰もの“意志”を形にできる機会があれば、世の中もっと平和になるんじゃないかなって」

これからは、「食」を通じたコミュニティづくり
「つづける支援活動助成」をもとにした活動では、炊き出しなどの食事支援の他にも、「食」を通じたコミュニティ形成の場づくりにも、かなざわオープンキッチンとして積極的に取り組んでいきました。
「発災当初は、とにかく『食事を届けなければ』『健康を守らねば』という思いでやってきましたが、今は少しずつ生活も落ち着いてきて、今後はやっぱり“コミュニティづくり”だなと思っているんです」と小尾さん。
金沢でできるコミュニティづくりとして、被災者も地元の人も参加できて一緒にお茶をする場としての「オープンサロン」や、喫茶店を会場にした「寄り合い会」なども定期的に開催。12月にはNPO法人クロスフィールズと連携して、金沢に避難してきている高齢者を対象にした「大根寿しづくり」を開催しました。

「台所」は、人生を作っていく場所だから
そこでお話を聞くうちに、小尾さんが改めて感じたのは人が生きていく上での「台所」という場所の重要性でした。
「地元の郷土料理のことを、それはもう生き生きと皆さんお話されるんですね。特に能登にはヨバレ(※)文化があるから、たくさんの人に自分の料理を食べてもらう機会も多いからこそ、料理自慢の方々ばかりで」
※ヨバレ…能登の各家庭では、祭りの日に親戚や友人らを多数自宅に招いて、ごちそうをつくってもてなす、古くから伝わる風習。

「今はそれがなくなって、調理する場所すら奪われている状態。仮設に入られているおばあちゃんは『(震災前に住んでいた)家の玄関くらいの広さに今は押し込められてる』とおしゃっていて、『台所も狭いから包丁を出さずにキッチンばさみで済ませている』『本当に料理をしなくなった』って。だから『痩せたよぉ』とおっしゃるのが切なくてー‥。台所ってただ単に調理する場所じゃなくて、食を通して『人生をつくっている』場所だったんだぁって、改めて感じたんです」

“能登の知恵”を、橋渡ししていける場に
最後に、「つづける支援活動助成」は2025年1月末を以て助成期間が終了となります。今後の活動はどうしていくのか、おうかがいしました。
「今までは完全無料で提供してきていましたが、これから少しずつお金をいただく形で運営していく形にしていこうかと思っています。それも、私たちが無理せず続けられる範囲で。今までも割と直感というか、“出たこと勝負”でやってきていたのですが(笑)、人と環境に優しい食事作りというのは私たちの根幹にあるものなのでそこはブレずにやっていけたら。味噌や醤油づくり、田畑でのお米や野菜作りー‥そういったものを取り入れながら、“地に足のついた生活”に共感していける人たちと楽しくやっていけたらなと思っています」

「そういう意味でも、自然の中で生きてきた“能登の人たちの知恵”から学ぶということが、今すごく大事だと思っているんです。私自身も転勤族で、子ども達もおじいちゃんおばあちゃんが近くにいない暮らしだから是非ともお話を聞きたい。『能登の文化』や『先人の知恵』というものを受け継いでいく場所が少ないからこそ、その橋渡しができるようなコミュニティに育っていけたらと思っています。『かなざわオープンキッチン』は元々“ボランティア”から始まっている団体ですが、結局そういうことがやりたかったのかもしれないなって、気がついたんです」

「大変だったけど、みんなで集まって、ワイワイお喋りしながら料理つくるのって、なんだかんだ楽しかったんですよね」と、この1年を振り返る小尾さん。
鍋からは濛々とあがる湯気、テーブルにはたくさんの食材。女性達の手は休むことなく動き続けながらも、日々の些細な喜怒哀楽を語り合うー‥それはどこか、祭の前の“能登の台所”とも重なる光景のように思えました。
「台所」が持つ可能性を社会に開いていて、つながり合い、知恵を繋いでいく。被災地支援から始まった「かなざわオープンキッチン」の試みは、また次のフェーズを迎えようとしています。
(取材:2024年12月)
かなざわオープンキッチン
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<メディア掲載>
「被災者応援 ランチに凝縮 慈善団体 × 金沢の喫茶店 カフェ開設」/2024年12月13日『中日新聞 Web』
https://www.chunichi.co.jp/article/998887
「被災の子ら 自由に遊べ 金沢の農園「プレイパーク」体験」/2024年12月15日『中日新聞 Web』
https://www.chunichi.co.jp/article/999868
文章・写真:柳田和佳奈
金沢に移り住んで早15年以上。2児の母。情報誌の編集者を経て、現在は「株式会社ENN」の広報担当や、個人でライターや編集業も行っています。
「能登とともに基金」は、令和6年能登半島地震・令和6年9月能登半島豪雨に関する支援活動を支える基金です。
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