レポート
Report
能登地震
2024.12.10
想いをつなげて、支援の輪を広げる 「寄付した人」「助成を受けた人」対談〜FOR NOTO・能登とととプロジェクト〜
11月初旬、ほくりくみらい基金の事務所にて3名の女性にお話を伺いました。
饅頭VERYMUCHさんは、石川県かほく市を拠点に活動するアーティスト。発災直後に支援ボランティア「能登とととプロジェクト」を立ち上げ、現在も支援活動を続けています。1月半ばには、ほくりくみらい基金の「緊急助成プログラム」の助成を受け、かほく市の拠点から被災地へ緊急支援物資を届ける活動を行いました。
梅田香奈さんは金沢市を拠点に活動するガラスジュエリー作家。20年来の友人であり、岐阜県でギャラリーショップ「QQ実験所」を営む片山千鶴さんとともに、作家たちによる能登半島地震チャリティーイベント「FOR NOTO」を企画しました。70組ほどの作家の作品が全国20カ所を巡回、売り上げは全てほくりくみらい基金および能登とととプロジェクトに寄付されています。
饅頭さんと梅田さんは、石川県を拠点に活動する作家同士。数年前から、同じイベントに出店する機会や、共通の作家仲間を通しての交流があったそうです。
そんな縁から、今回は「ほくみに寄付した人」と「ほくみからの助成を受けた人」の対談が実現しました。
「何かしたい」の気持ちが集まったイベント 小さな行動が、大きな支援の輪に
ーーFOR NOTOは、どのような経緯でスタートしたのですか?
<梅田>「発災直後は、支援するにも身動きが取れず、自分だけでは微力すぎてもどかしい思いをしていました。そんな中、1月3日に作家仲間の山岸紗綾さん(漆芸家)に会ったんです。何かできないかと相談して、私たち作家は在庫を販売すれば寄付金を作れるよね、と。それもひとりだと少しだけど、何人か集まればイベントになるし、協力してくれる人もいるんじゃないかと思い、そこで地震直後にも連絡をくれた片山さんのことを思い出して。チャリティーイベントの相談をしたら、二つ返事で協力してくれました」
ーー1月にQQ実験所からスタートしたFOR NOTOは、10月までに全国19カ所を巡回。参加作家も70組ほどと、長期に渡る大巡回展となりました。
<梅田>「SNSで、作家さんの参加や販売してくれるお店を呼びかけたら、手を挙げてくださる方が徐々に増えていって。小さいものが転がってどんどん大きくなっていったという感じです。商品も『5個だけなんだけど、出せるよ』『20個しかないんだけど、ごめんね』と少しずつ集まってくれて、気づけば数百点になりました」
ーー寄付先は、どのように選ばれたのですか?
<梅田>「大きな団体よりももっと近いところで、石川県をベースにしているところを探しました。発災直後、すぐにクラウドファンディングを立ち上げられていたのも拝見していましたし、小さな市民団体を応援しているという趣旨にも賛同したので、ほくりくいみらい基金を寄付先に選びました」
<片山>「饅頭さんは、発災直後のSNSの投稿で知りました。知り合いの人たちがみんなこぞって『饅頭さんに物資を送ろう!』と投稿をシェアしていて、饅頭?何者?!と、最初はびっくりしました」
災害支援の経験を活かしたスピード感のある呼びかけに大反響
ーー饅頭さんの投稿は、ものすごい勢いで拡散されていましたよね。被災地からは、物資が足りないという声が届いている。でも、届ける方法もなければ、集まった物資を貯めて置く場所もない…というときに現れた饅頭さんの活動は、みんなが求めていたものでした。1月2日から呼びかけが始まったというスピード感も驚きました。以前から、このような災害支援活動をされていたのですか?
<饅頭>「コロナが流行したときに、飲食店のテイクアウト情報をまとめて発信したり、クラスターが発生した病院の看護師さんから連絡をもらって必要な物資を届けたり、という活動をしたことがきっかけだったと思います。2022年に小松で起きた水害のときも、寄付金を集めて物資を届けました。そのときに現地で話を聞くと、いろんな課題があることに気づきました。寄付金や義援金がすぐには現場で必要な物資に変わらないこと、必要な物資は日ごとに変わっていくこと、被災者の方は遠慮してしまって本当に必要なものを言えないこと、数km離れた同じ市内では人ごとのように通常運転で生活していること…」
<饅頭>「1月1日は、かほく市でもかなり揺れました。食器がバリンバリン割れて、色んなものが落ちてきた。能登が震源だと知って、能登はもっとひどいことになっているんじゃないかって。避難している人がたくさんいるなら、その人たちの命を守るものを届けないと!と思いました。でも、外では夜通しサイレンが鳴り響いていて、近所でも大変な被害なんだろうか…と不安になっていたんです。2日の朝に国道に出てみると、全国から隊列を成して駆けつけてくれた緊急車両たちが、能登へ急いで向かう音だったと分かりました。それを見ていたら、自分にできることをやらなきゃ!と思い、勢いでSNSに投稿したんです」
「やりたくでもできないこと」気持ちをお金に替えて託す支援の形
ーーほくりくみらい基金のスタッフも、饅頭さんの投稿を見ていました。その後の動きや発信内容も追って、信頼して支援をお願いできる人だと感じたことも、助成金の採択につながっています。そんな饅頭さんもFOR NOTOの流れをご覧になっていたと思いますが、どのように感じていましたか?
<饅頭>「支援活動をしていると、たくさんの支援金の寄付をいただきますが、物資に替えて送るとあっという間に減ってしまうんです。物資も、その場しのぎのものではなく生活を取り戻すためにしっかり役立つものを送りたい、明日への活力になるものを送りたいというのが私たちの想い。その趣旨に賛同して支援してくれるFOR NOTOの取り組みは、本当にありがたかったです」
<片山>「饅頭さんには、私たちがやりたくてもできないことをやってもらってる感じ。お客さんも同じで『能登のために何かしたくて』と来てくれる人がたくさんいました。『好きなものを買って、それがチャリティーになるなんて、こんな素晴らしいことはない』って」
<梅田>「気持ちをお金に替えて、能登に駆けつけている気持ちでしたよね。参加していた作家さんや協力してくれたお店の方々も、同じ気持ちだったと思います。FOR NOTOの作品たちは、1月にQQ実験所をスタートして、お店からお店へ直接送っていただいたんですが、8月に一度私の手元に戻してもらうタイミングがあったんです。そのときに半年ぶりに作品たちを見たら、感動してしまって。というのも、最初は無かった商品や作家の紹介POPが増えていたり、看板がしつらえられていたり、納品書やショップカードなども小分けされてきれいに整えられていたり…わざわざ良い素材でしっかり作ってあるものもありました。取り扱い店舗を回るたびに、お店の方々が工夫して足してくださったみたいなんです。しかも、2グループで回していたのに、2つともそれぞれにそんな素晴らしい状態で戻ってきて。開けた瞬間にふわっと光り輝いているような熱量やパワーを感じるものになっていて、もう、ものすごく感動しました」
<片山>「ものを売る身としても、すごく勉強になりました。お金そのものの価値だけじゃないっていうか、お金が気持ちを運んでまたものに変わる、動いていくのをすごく感じました」
ーー想いがつながっていますね。そうやって預かったお金が、支援につながっていく。そういう意味では、ほくりくみらい基金も同じ。私たちがお金を受け取って終わりじゃなくて、それをまたお渡しするという立場です。お渡しした後のその経過や状況を、寄付してくださった人にちゃんと伝えきれていないんじゃないかという心配があるので、伝える方法も考えなければ。ちなみに、饅頭さんは現在どのような支援活動をされているのでしょうか?
<饅頭>「最近は、能登を支援する立場として、県外でトークをさせていただく場が増えてきました。長野、関西、関東などで、私たちが行ってきた支援活動や被災地のリアルな声などをお話しています。よく聞かれるのは『もう能登に行ってもいいんですか?』ということ。発災当初の『来ないでください』の強いメッセージはたくさん報道されたけど、比べてその後の『ボランティアにも観光にもぜひ来てください』の報道は少ないんです。私たちが思っている以上に、能登の現状は理解されていないと感じます。私が話をすることで、ひとりでも多く能登に行く人や関心を持つ人が増えたらという思いです。いっぽうで、『何度もボランティアに行きました』とか『来週能登に行きます』という方も声をかけてくださいます。遠くでも能登を想って動いてくれている人がいることも、被災地に伝えていきたいです」
<饅頭>「今まで、トークイベントなどで話す機会はほとんどなかったので、得意ではないんですけど…でも、人の繋がりっていうのは、今回の支援活動でまさしく生きたことでした。自分にできることは、今まではつながっていなかった縁をつなげて、支援を増やすこと。能登のグッズを作って販売をしてお金を集めて、能登の人たちに送ること」
被災者の自立を支援 女性たちが立ち上がるきっかけに
<饅頭>「それから、被災者の方々の自立を支援する活動も始まりつつあります。輪島の避難所で、被災しながらもずっと炊き出しをしていた女性たちのグループが、これからも地域のつながりを絶やさないように定期的に集まって活動しようっていう団体を立ち上げて。いままでみたいに私たちからお金や物資を支援することだけではなく、長期的に生活や活動を支えられるしくみ作りの支援をしていきたいなと考えています。例えばいま私がやってるシルクスクリーンプリントの技術を教えることで、自分たちのグッズを作って販売をするとか。東北でも『刺し子ギャルズ』や『気仙沼ニッティング』などの前例があります」
ーー山形県鶴岡市には「鶴岡ナリワイプロジェクト」といって、まずは月3万円の収入を目指して小さなビジネスをはじめてみよう、という取り組みもあります。そこでも、女性たちが中心になって活躍している。そんな事例を視察に行くツアーも良いですね。奇しくも今日の対談メンバーも全員女性ですし、震災を機に女性たちが新しく挑戦する機会も増やしていきたいです。
<梅田>「災害の文脈じゃなくて、男女共同参画っていう視点でも、ここから立ち上がっていけたら良いなと思いました。私の周りの作家さんたちも、伝統工芸は男性も多いですが、女性作家さんもたくさんいる。自分でお金を稼いでキャリアを築いている女性も多いです。でも、世間的には趣味の延長のようにとらえられることが多いのも事実。たとえば私は、ジュエリーを作っていますと伝えると『そう、それで仕事は何をしているの?』と言われたことも。そんなところも、これを機に変わっていったらいいなと思います」
求めることは「寄り添う支援」 知ることやつながりの大切さも
ーー今後、どんなことをほくりくみらい基金に期待していますか?
<片山>「パンクであってほしいですね!インディーズというか、大きなものに巻かれずに、本当に困ってる人の心の叫びを聞いて、拾い上げていただけるような活動を続けていただきたいです。 そして、支援した私たちにもその後の様子が分かるように、SNSやWEBなどでの報告もあると嬉しいです」
<梅田>「ほくみさんは、大きなブルドーザーでドーンと金塊を渡すみたいな感じじゃなくて、手で触れるような寄付というか、寄り添うような感じの活動を支援されているなと思いました。ぜひ、今後も続けてほしいです」
<饅頭>「助成を受けた団体の報告会に参加させていただいたときに、初めて知った支援団体さんがありました。知ってつながっていれば、今後も的確にそこにつないでいけると思います。いまも、さまざまな団体について細かくレポートしてくださっている中で、 自分たちが必要だと思ったときに、そこを見ればわかるっていう明確化をしていただいているので、助かっています」
今後、FOR NOTOの活動はオンラインストアにて継続されていくそうです。
ほくりくみらい基金は、たくさんのみなさまの寄付によって成り立っています。そのすべてが、お金に託されたあたたかな「想い」であることをあらためて実感しました。
FOR NOTO
https://www.cthruit.com/for-noto/
梅田香奈
埼玉県出身。2000年に石川県に移住し、2008年にガラスジュエリーブランド「_cthruit」を立ち上げる。2017年~2020年ベルギーでの活動を経て石川県に帰国。
https://www.cthruit.com/
https://www.instagram.com/_cthruit
片山千鶴
岐阜県出身。2022年、東京から岐阜にUターン移住しギャラリーショップ「QQ実験所」をオープン。
https://www.qq-jikkenjo.com/
https://www.instagram.com/qq_jikkenjo/
饅頭VERYMUCH
石川県かほく市出身。アーティストとして県内外で展示やイベント出店を行う。
https://www.instagram.com/manjyuverymuch/
能登とととプロジェクト:ほくりくみらい基金「令和6年能登半島地震災害支援基金」第1次助成採択団体
https://www.instagram.com/noto_tototo_project/
文章・対談写真:岡田有紀
石川県内を拠点にフリーライター・編集者として活動中。
「能登とととプロジェクト」のメンバーとしてボランティアサポートも行っています。